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ダナンの歴史

11/07/2018
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ダナンの歴史

ホイアンが南部の中心地として栄えていた16世紀半ば、ダナンは物資の輸送と船舶修繕のための小さな港に過ぎませんでした。18世紀に入り、ヨーロッパの造船技術が向上して大型の深吃水船がダナン湾に容易に入港できるようになると、ホイアンに代わる商業港として徐々に発展していきました。

Lich Su Da Nang 4

1835年、ミン・マン(Minh Mang)帝が「ヨーロッパ船はハン港以外の港に停泊して貿易を行ってはならない」と発令したことで、当地は中部地方最大の商業港となっていきました。それに伴い、造船業、農林水産物の1次加工、貿易、サービス業など、地元の小規模産業も次第に発展しました。

1889年にベトナム全土の支配を確立したフランス人入植者たちは、ダナンをクァンナム省から切り離し、トゥーランと改名してインドシナ総督の支配下に置きました。

20世紀初頭、トゥーランは、社会インフラと製造技術に重点を置いたヨーロッパの都市モデルに基づいて開発が始まります。農産業、小規模産業、輸出品加工(茶、食品、飲料、氷、酒類、魚醤、干物)、造船・修繕、サービス業など、さまざまな経済活動が形成され、栄えました。ハイフォンやサイゴンとともに、トゥーランは国の重要な貿易拠点となったのです。

Tourane 1929 Lich Su Da Nang

1950年、フランスはバオ・ダイ(Bao Dai)政府にトゥーランの統治権を与えました。1965年3月、アメリカの海兵隊が上陸し、大規模な軍事施設の建設が始まりました。1967年に中央直轄地に指定されると、アメリカ軍とサイゴン政府はダナンを第1、第2戦術区の政治、軍事、文化の拠点として整備していきました。軍事基地や空港、港湾、倉庫、道路、公共事業、通信所、銀行などのインフラが建設されて工業が盛んになると、手工業の工房は工業区に取って代わられました。例えば、ホア・カイン工業区では、酸素、アセチレン、洗剤の生産や粉砕、繊維産業などが行われました。しかし、破壊的な戦争が何千人もの周縁の住民を難民キャンプに追いやったことで、街はスラム化し、社会悪が増加し、生産活動は停止しました。

1975年、ベトナムは独立を達成し、ダナン(当時は一時的にクァンナム-ダナン省管轄)でも戦争の深刻な被害からの復興が始まりました。困難にもかかわらず、特に1986年の経済刷新後は、街の復興と発展に一定の成果が見られるようになりました。

Lich Su Da Nang 3

1996年7月6日、ベトナム社会主義共和国第9期国会第10回国会において、クァンナム-ダナン省をクァンナム省とダナン市に分離し、それぞれ中央政府に直接責任を負う自治体とすることが決議されました。新たなダナン市は、従来のダナン市域にホアヴァン農村地区、ホアンサ島地区が加わって構成されました。

各時代におけるダナンの名称の変遷

大越国の領土であったダナンの地は、15世紀の陳英宗(Tran Anh Tong)帝の時代にはホアチャウ郡にありました。1466年からの黎聖宗(Le Thanh Tong)帝の治世では、トゥアンホア省チェウフォン県ディエンバン郡に属していました。

ダナンという名称が初めて登場するのは1533年の楊文安(Duong Van An)著『烏州近錄(O Chau Can Luc)』で、黎聖宗帝時代の高名な人物を祀る寺院がダナン港にある、との記述が見られます。

ダナンとは、チャンパ語で「大きな川」や「主要な河口」を意味します。ハン川西岸の重要な港に隣接する街であるダナンは、16世紀の地図にも見ることができます。

また当時はクア・ハン(Cua Han)という別称が民衆やヨーロッパ人に馴染まれていました。この名称は「ハン川の門」のような意味を持ち、17世紀の地図に見ることができます。1615年、内地(Dang Trong)に来たヨーロッパ人宣教師ブゾミ神父は、ハイヴァン峠のふもとにある土地、キーン(Kean)に教会を設立しました。キーンという地名は、1666年にアレクサンドル・ドゥ・ロード神父が作成した有名な地図にも記載されています。キーンは「ケー・ハン(Ke Han)」で、市場や通りなど人通りの多い場所を表す「ケー」という当時の言葉に由来しています。

フランス植民地時代には、ダナンはトゥーラン(Tourane)と呼ばれました。これは当時の正式な行政名であり、現在に至るまで多くのヨーロッパ人が使用しています。16世紀から18世紀のヨーロッパの地図や書物、記述には、Turon、Toron、Taraon、Touan、Touane、Touron、Touraneなどの表記が見られます。

中国人はこの土地を「ヒエン・カン(Hien Cang)」と呼びます。漢字では「ムール貝が多い港(蜆港)」と、「小さいが危険な山がある港(峴港)」という2つの同音異義字での書き方がありますが、どちらも海上から見たソンチャ半島の地形に由来しています。

ダナン湾は地元では「ブン・トゥン(Vung Thung)」と呼ばれていました。儒学者はダナンのことをチャ・ウック(Tra Uc)、チャ・アオ(Tra Ao)、チャ・ソン(Tra Son)、ドン・ロン・ローン(Dong Long Loan)などと呼んでいました。

1945年の8月革命後、トゥーランは、1916年にズイタン(維新)レジスタンスを率いたクァンナム省の愛国者タイ・フィエン(Thai Phien)の名を冠することになりました。

2年後、タイフィエン市は改めてダナン市に戻り、その後現在に至るまで同名が使われています。

ダナン近代史年表           

 * 1888年10月1日

阮朝のドン・カイン(Đong Khanh)帝が、ハノイ、ハイフォン、ダナンをフランス人侵略者に割譲する協定に調印。ダナンにはホアヴァン郡から分離したハイチャウ、フックニン、タックタン、ナムズオン、ナイヒエンタイを含む5地区があると規定。この協定は、1888年2月10日の仏領インドシナ総督の布告によって主導されました。

* 1889年5月24日

仏領インドシナ総督は、トゥーラン(ダナン)市をクァンナム省の行政単位とする法令を発表。トゥーラン市はチョロンやプノンペン(カンボジア)と同じ二級都市に認定されました。市行政機構の長となる市長は総督が任命しました。当時の市の総面積は10,000ha。

* 1901年1月15日

仏領インドシナ総督の圧力を受け、タイン・タイ(Thanh Thai)帝はさらにホアヴァン郡の8地区とディエンフック郡の6地区を追加割譲する勅令に署名。

* 1905年9月19日

仏領インドシナ総督は、トゥーラン市をクァンナム市から分離し、19地区(ハン川左岸の13地区と右岸の6地区)による独立した行政単位として開発する法令を制定。

* 1945年8月

8月革命後、ダナンはタイフィエン市と改名されました。タイ・フィエン(1882年 – 1916年)はダナン生まれの著名な学者で、ベトナム独立回復協会によるフランス当局に対する反乱(1916年5月4日)を主導するも失敗、同年5月17日、フエのアンホアでチャン・カオ・ヴァンと共に斬首されています。

* 1945年10月9日

中央政府の決定により、市名はタイフィエンからダナンに再改名。

* 1945年10月

ホアヴァン郡ナムトーとホアハイの2地区を併合し、ダナン市の境界は東に拡大。市は以下の3つの地域を持つことになりました。

– 中央部:ハイチャウ、フックニン、タックタン、ナイヒエンタイ、ビントゥアンの5地区。

– 西部地域:タインケー、ハケー、スアンホア、スアンダン、リエンチー、タックザン、トゥアンアンの7地区。

– 東部地域:アンハイ、ホアハイ、ミーケー、フックトゥン、タンタイ、ナムトック、コマン、マンクァン、ナイヒエンドンの9地区。

* 1946年4月

市人民評議会第1回会議で7つの行政区の設置が可決。またホアンサ島地区が市に組み入れられました。

  1. ハン川左岸5地区

– ハイチャウを含むチャンフー地区。

– ビントゥアン、フックニン、ナイヒエンタイ、ナムズオンを含むファンダンルウ地区。

– タックザン、タックタン、リエンチーを含むファンタイン地区。

-イェンケー、スアンハー、スアンダン、フックダンを含むレホンフォン地区。

– タインケー、ハケー、トゥアンアンをむハフイタップ地区。

  1. ハン川右岸2地区

-ミーケー、アンハイ、フックトゥオン、ナイヒエンドンの一部が含まれるグエンタイホック地区。

-コマン、マンクアン、ナムトー、タンタイを含むフォードゥクチン地区。

* 1946年12月20日

フランスがダナン市を再び占領。7地区は、フランスの侵略者との交戦に備え連絡を容易にするために、中部、西部、東部の3地区に組み直されました。

* 1948年

クァンナム-ダナン省のレジスタンス行政委員会は、占領されたダナンへの交通経路を確保するため、ホアヴァン郡のミーティ、バーダー、ダーフック、ヌックマンの各コミューンをダナン市に編入。

* 1949年6月

ホアヴァン郡のクエチュン、ホアクエ、ホアクオンの3地区がダナン市に編入。再編されたダナン市は6地区となりました。

都市部3地区:

– ハイチャウを含むチャンフー地区。

– ハイチャウの一部、タックザン、タックタンを含むファンタイン地区。

-フックニン、ナムズオン、ナイヒエンナム、ビンズオンを含むファンダンルウ地区。

農村部3地区:

-アンハイ、ホアハイ、ミーケー、フックトゥオン、タンタイ、ナムトー、コマン、マンクアン、ナイヒエンドン、ヌックマン、ミーティ、バーダーを含む東部地域。

-タインケー、ハケー、スアンホア、スアンダン、リエンチ、タックザン、トゥアンアンを含む西部地域。

-クエチュン、ローサイ、ホアソン、トゥアンナム、リエンチナム、リエンチバックを含む南部地域。

* 1955年10月

ダナン市は28の街区による3地区で再構成されました。

– 第1区:スオンビン、フックニン、ティウビン、ハイチャウ、タックタン、ナムズオン、ホアトゥアン、ビントゥアン、ナイヒエンの9街区。

– 第2区:タックザン、ハケー、アンケ、フーロック、フック・ダン、チンチャック、スアンダン、タムトア、タインケー、スアンホアによる10街区。

– 第3区:アンハイ、マンクァン、コマン、ナムトー、ミーケー、フックトゥオン、ナイヒエンドン、タンタイ、トゥオンギア)の9街区。

* 1962年7月31日

ベトナム共和国政府は政令第162-NV号を公布し、クァンナム省をクァンナム省とクアンティン省に分割。クァンナム省は9地区、1町、144コミューンからなり、省都はホイアンに置かれました。クァンティン省は6地区、1町、89コミューンからなり、省都はタムキー。

分割後、クァンナム革命政府は第5区党委員会の決議に従い、敵の計画に対応して組織と統制を改良するために、省をさらに2つの新しい省に分割しました。

北部にはクアンダ省が置かれ、ホアヴァン、ダイロック、トンニャット、ディエンバン、ズイスエンの5地区、ダナンとホイアンが含まれました。

南部のクァンナム省には、ケソン、南タムキー、北タムキー、タンビン、ティエンフック、チャソンの6地区が含まれました。

* 1967年11月

第5区党委員会がクァンダ省とダナン市をクァンダ特区として統合。

* 1973年1月6日

ダナン市の行政区分が3区となり、28街区が19街区に統合されました。ダナンは市長をトップとする11人の議員からなる市議会の管理下に置かれました。

– 第1区:チエウビン、スオンビン、タックタン、ハイチャウ、ナムフオック、ビンヒエン、ホアトゥアンの7街区。

– 第2区:チンザン、タックザン、アンケー、タインロックダン、ハタムスアンの5街区。

– 第3区:ナムトー、マクアン、マター、アンハーター、フックミー、ナイギア、アンハイバックの7街区。

* 1975年3月26日

ベトナム共産党政治局とベトナム人民軍中央党委員会は、コードネーム「145」としてクァンダ戦線党委員会兼最高司令部の設立を決定。司令部参謀のレ・チョン・タン少将と第5軍区司令官兼政治委員副主任のチュー・フイ・マン中将は、第2軍団と第5軍区の人民を指揮してダナン占領軍に抗戦することを許可されました。

* 1975年3月28日

ダナンへの攻撃計画が策定されました。北部の第325師団、西部の第9連隊、南西部の第304師団、南部第5軍区軍、東部のクァンダ特区軍が配備され、具体的な都市の攻撃目標が設定されました。

午前5時、ベトナム人民軍は空港と港湾への砲撃を開始し、ダナン解放作戦を展開。午後にはダナンへの進入路は全て封鎖されました。ゴ・クアン・チュン将軍が率いるベトナム共和国軍第1戦略区最高司令部は、混乱に陥った市を後に、第7艦隊の船で撤退しました。

* 1975年3月29日

午前11時、ベトナム人民軍がダナン空港を掌握。

午後2時、革命旗が市役所と傀儡軍の第1軍団司令官の旗棒に翻りました。

午後3時、戦闘終結。ダナンは占領から完全に解放されました。

* 1976年2月

ベトナム共産党政治局の1975年12月20日付決議第245号(NQTW)および第19号(NQ)に従い、南ベトナム共和国暫定革命政府は、一帯を解散し南部の省を統一する法令を発表。この再編成により、クァンナム-ダナン省は旧クァンナム省と旧クァンダ省の2省から構成され、南ベトナムの21省・中央直轄地の1つとなりました。

* 1977年8月30日

政令第228-CP号により、クァンナム-ダナン省の第1、2、3区がクァンナム-ダナン省下のダナン市として成立。

* 1982年12月9日

クァンナム-ダナン省ホアヴァン郡のパラセル諸島全域からクァンナム-ダナン省ホアンサ島郡が形成されました。

* 1996年11月6日

ベトナム社会主義共和国第9期第10回国会で、クァンナム-ダナン省をクァンナム省とダナン市に分離することが決定されました。

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    16世紀の中頃、ホイアンがベトナム南部地方の貿易の中心地だったとき、ダナンは輸送物資の中継や船舶修理のための小さな港にすぎませんでした。ヨーロッパの造船技術が発達による吃水の深い大型船も容易にダナン湾に入ることができたので、18世紀初めからホイアンに代わる商業港として徐々に発展して行きました。ミン・マン王が「ハン港以外の港で貿易を行うために錨泊することを許可しない」と命令した1835年、ダナンは中部最大の商業港となりました。造船、農林水産物の一次加工、貿易、サービス業を含む地元の小規模産業がそれぞれに繁栄しました。

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