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ダナンの歴史

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16世紀の中頃、ホイアンがベトナム南部地方の貿易の中心地だったとき、ダナンは輸送物資の中継や船舶修理のための小さな港にすぎませんでした。ヨーロッパの造船技術が発達による吃水の深い大型船も容易にダナン湾に入ることができたので、18世紀初めからホイアンに代わる商業港として徐々に発展して行きました。ミン・マン王が「ハン港以外の港で貿易を行うために錨泊することを許可しない」と命令した1835年、ダナンは中部最大の商業港となりました。造船、農林水産物の一次加工、貿易、サービス業を含む地元の小規模産業がそれぞれに繁栄しました。

フランスの植民者たちは、1889年にベトナム全土を支配した後、ダナンをクアンナム県から分離し、トゥーラン市と

名前を変更し、インドシナ総督の支配下に置きました。

20世紀初頭から、トゥーランは、社会インフラと製造技術に焦点を当てたヨーロッパ型モデルとして発展しました。農業生産、小規模産業、輸出製品加工(茶、食品、飲料、氷、アルコール、魚醤、干し魚)、造船や修理、サービスなど、多くの種類の経済活動が形成され、繁栄しました。ハイフォンとサイゴン(現ホーチミン市)と共に、国の重要な貿易センターになりました。

1950年、フランスはバオダイ政府に市の行政権を与えました。

1965年3月、アメリカ海兵隊が上陸し、大規模な軍事複合施設を建設し始めました。市は1967年に中央統治都市に定められ、それに応じて米軍とサイゴン政府はダナンを第1および第2戦術地域の政治、軍事および文化の中心地にしました。軍事基地と空港、港湾、倉庫、道路、公共事業、通信所、銀行などのインフラが建設されました。産業が盛んになり、結果として

手工業の産業地帯から変っていきました。例えば、ホアカン工業区は、酸素、アセチレンや洗剤の生産、粉砕や繊維産業のために使用されました。しかし、壊滅的な戦争で、何千もの農村部の人々が難民キャンプに逃げ込むことになりました。都市にはスラム街が出現し、社会的犯罪が増え、生産は止まッてしまいました。

1975年、完全な独立後、ダナン(一時的にクアンナム – ダナン省となる)は戦争の深刻な影響を克服し始めました。多くの困難にもかかわらず、都市の復興と開発には、特に1986年の

経済刷新後は、いくつかの成果がありました。

1996年7月6日、第9回ベトナム社会主義共和国国会の第10回会議で、クアンナム – ダナン省をクアンナム省とダナン市に分離し、ダナン市を中央政府直轄市する決議案が可決されました。新しいダナン市は、従来のダナン、ホアヴァン地方区、ホアンサ島区で構成されています。

各時代を通したダナンの名称

ダイ・ベトナム国の領土の一部であるダナンの地は、15世紀のチャン・アン・トン王時代にはホアチャウ郡にあった。1466

年から始まるレ・タン・トン王朝時代には、の時代では、トゥアンホア省チァウフォン県ディエンバン区に属していました。

ダナンという名前は、1533年、ル・タン・トン王時代に崇拝されていた、ダナン港にある寺院の有名な人物ドン・ヴァンアンが1533年に書いた本「O Chau Can Luc」に初めて見えます。

ダナンという名前は、チャンパ語で「大きな川」または「中心の河口」を意味していました。ハン川の西岸にある重要な港の隣に位置し、16世紀から地図に載っています。

当時は、土地の別名、クゥア・ハンとして国民やヨーロッパ人に知られていました。この名前はハン川に近い意味で、17世紀の地図にも見られました。1615年に内陸部(ダン・チョン)にやってきたヨーロッパの宣教師であるブゾミ神父は、ハイヴァン峠のふもとにあるケアンに教会を創設しました。ケアンと

いう名前は、アレクサンドレ・デ・ロードス神父が1666年に作った有名な地図でも使われていました。ケアンは “ケ・ハン”であり、その時には市場や通りなどの混雑した場所を表す非常に一般的な名前である “ケ”という言葉に由来しています。

さらに、フランスの植民地時代には、ダナンはトゥーランと呼ばれていました。それは、その当時の正式な行政名であり、今まで多くのヨーロッパ人によって使用されてきました。16世紀、17世紀、18世紀のヨーロッパの地図、書籍、記録には、Turon、Toron、Taraon、Touan、Touane、Touron 、Touraneなどの地名で記載されています。

“ヒエン・カン”は、この土地の中国人から呼ばれた名前です。

「ヒエン」は、ハンの書体から2つの意味にとれて、「ムール貝の多い港」または「小さくて危険な山々のある港」を意味しています。海から見るソンチャ山の形を意味していると思われます。

ダナン湾は地元の人々に「ヴン・トゥン」と呼ばれていました。儒教の学者はダナンをチャ・ウッ、チャ・アォ、チャ・ソン、ドン・ロン・ロアンの文学名で呼んでいました。1945年8月革命の後、トゥーランは、1916年にドゥイ・タン(復元)抵抗者を率いたクアンナム省の有名な愛国者タイ・フィエンにちなんで命名されました。

2年後、タイ・フィエンはダナンに改名され、この名前が街の名前となりました。

ダナンの画期的な出来事

*1888年10月1日

阮王朝のドン・カァハン王はフランスの侵略者にハノイ、ハイフォン、ダナンを割譲するという合意書に署名しました。それには、ダナンはハイチャウ、フォクニン、タクシタァン、ナムドゥオン、ナイヒエンテイを含むホアヴァン地区から分離された5つのコミューンを持つと明記されていました。その合意は、1888年2月10日にインドシナのフランス総督の布告によって削除されました。

*1889年5月24日

インドシナのフランス総督は、トゥーラン(ダナン)市をクアンナム省の行政単位として定める法令を公表しました。トゥーラン市は、チョーロン市やプノンペン(カンボジア)のようなクラス2都市として認めらました。総督によって任命された市長が市の行政組織のトップで、市の総面積は10,000haです。

*1901年1月15日

インドシナのフランス総督からの圧力を受けてタンタイ王は、ホアヴァン区の8つのコミューンとディエンフオック区の6つのコミューンを追加して割譲する勅令に署名することを余儀なくされました。

*1905年9月19日

インドシナのフランス総督は、19のコミューン(ハン川の左岸13のコミューンと右岸の6つのコミューン)を含む独立した行政単位として開発するために。トゥーラン市とクアンナム省を分離する法令を制定しました。

*19045年8月

8月革命後、ダナンはタイ・フィエン市に改名されました。

タイ・フィエン(1882 – 1916)は、ダナンで生まれで、ベトナム独立を復興する協会を率いてフランス当局に対する反乱(1916年5月4日)を率いた有名な学者でした。彼は1916年5月17日にトゥアン・カオ・バンと共に斬首されました。

*19045年10月9日

中央政府の決定に基づき、タイ・フィエン市はもとのダナン市に改名されました。

* 1945年10月

ダナンの範囲は、ホアヴァン地区のナムトーとホアハイの2つのコミューンの併合によって東に拡大されました。

市は以下の3エリアを含んでいます:

-中央地域は、ハイチャウの(フオックニン、タックタン、ナイヒエンテアイ、ビントゥアンの 5コミューンを含みます。

-西部地域は、タンケー、ハケー、スアンホア、スアンダン、リエンチー、タクヤアン、トゥアンアンの7コミューンを含みます。

-東部地域は、アンハイ、ホアハイ、ミーケ、フオックツゥオン、タンタイ、ナムトー、コーマン、マンクアン、ナイヒエンドンの9コミューンを含みます。

* 1946年4月

市人民委員会の最初の会議で、7つの行政分野を設立する決議が通りましたホアンサ島区は、都市コミューンです。

1.ハン川の左岸には5つの地区があります。

-ハイチャウ・コミューンを含むチャンフー地区。

-ビントゥアン、フォックニン、ナイヒエンテアイ、ナム・ドゥオンのコミューンを含むファンダンルウ地区。

– タックジャン、タックタン、リエンチーのコミューンを含むファンタン地区。

-エンキー、スアンハ、スアンダン、フックダンのコミューンを含むルホンフォン地区。

– タンケー、ハケー、ツゥアンアンのコミューンを含むハフィタップ地区。

2.ハン川の右岸には2つの地区があります。

-ミーケ、アンハイ、フォックツゥオン、ナイヒエンダン・コミューンの一部を含むグエンタイホック地区。

-コマン、マンクアン、ナムトー、タンタイのコミューンを含むフォードゥクチン地区。

* 1946年12月20日

フランスは再びダナン市を占領し、 7っの地区は新たに3地区に統合されました:フランスの侵略者と戦うためのコミュニケーションを促進するための中部、西部、東部の3地区です。

* 1948年

クアンアム-ダナン省の抵抗と行政委員会は占領された都市に容易に侵入するために、ホアヴァン区のミティ、バダ、ダフオック、ヌォックマンのコミューンを地に編入する決定を下しました。

* 1949年6月

ホアヴァン区の他の3っのコミューン:クエチュン、 ホアクエ、ホアクオンが市に編入されました。

ダナンは新しく6っのエリアに分けられました。

3っの市街地区:

-ハイチャウ・コミューンを含むチャンフー地区

-ハイチャウ・コミューンの一部、タックジアンとタックタンのコミューンを含むフアンタン地区

-フオックニン、ナムドゥオン、ナイヒエンナム、ビンドゥオンのコミューンを含むファンダンルウ地区

3農村地区:

-東部地区はアンハイ、ホアハイ、ミーケ、フオックツゥオン、タンタイ、ナムトー、コーマン、マンクアン、ナイヒエンドン、ヌオックマン、ミティ、バダのコミューンを含みます。

-西部地区は、タンケー、ハケー、スアンホア、スアンダン、リエンチー、タックジアン、ツァンアンのコミューンを含みます。

-南部地域は、クエチュン、ロサイ、ホアソン、ツァンナム、リエンチーナム、リエンチーバックのコミューンを含みます。

*1955年10月

ダナン市街は、区に相当する28の地区を含む3つの区が設立されました。

-第1区は、スオンビン、フオックニン、ティアウビン、ハイチャウ、タックタン、ナムドゥオン、ホアツァン、ビンツァン、ナイヒエンの9地区を含みます。

-第2区は、タックジアン、ハケー、アンケー、フロック、フックダン、チンチャック、スアンダン、タmトア、タンケー、スアンホアの10地区を含みます。

-第3区は、アンハイ、マンクアン、コーマン、ミーケ、フオックチュオン、ナイヒエンドン、タンタイ、ツォングギアの9地区を含みます。

*1962 年7月31日

ベトナム共和国政府は、クアンナム省とクアンティン省を分離する法令第162号NVを発行しました。クアンナム省は、9つの区、地方市街ホイアンと144のコミューンで構成されています。クアンティン省は、6っの区、地方市街タムキーと89のコミューンで構成されています。

分割後、第五区党委員会の決議を遵守して、クアンナム革命政府は、敵の計画に対処するために、より良い組織とリーダーシップの確立のために2つの新しい地域に分割します。

北部は、ホアヴァン、ダイロック、トンニャット、ディエンバン、デュイスーエン(ダナンとホイアン)の5地区とクアンダ省です。南部は、クエソン、南タムキー、北タムキー、タンビン、ティエンフオック、チャソンの6区を持つクアンナム省です。

*1967 年11月

第5区党委員会は、クアンダ省とダナン市をクアンダ特別区に合併することに決定しました。

*1973 年1月6日

ダナン市の行政区分は3つの区に制定されました28地区は区レベル以下の19地区に統合されました。ダナン市街は、市長が率いる11人の市議会の管理下に置かれました。

-第1区は、チィアウビン、スオンビン、タくタン、ハイチャウ、ナムフオック、ビンヒエン、ホアツァンの7地区です。

-第2区は、チンジアン、タックジアン、アンケー、タンロックダン、ハタムスアンの5地区です。

-第3区は、ナムトー、マクアン、マター、アンハタ、フオックミー、ナイジィア、アンハイバックの7地区です。

*1975年3月26日

ベトナム共産党政治局とベトナム人民軍中央党委員会は、最高司令部とコード名「145」のクアンダ戦線党委員会を設立することを決定しました。司令部参謀のレ・チョン・タン少将と第五軍区司令官で政治委員副主任のチューフイマン中将に、第二軍団とダナンの占領に奮闘している第5区人々を指揮する権限を与えられました。

*1975年3月28日

ダナンへの攻撃計画は、北の第325部隊、西の第九連隊、南西の第304部隊、南の第5軍区機工歩兵師団と東のクアンダ特別区の武装勢力と特定の都市の攻撃目標からなっていました。

午前5時に、ベトナム人民軍の砲兵部隊がダナンの解放運動を開始するために空港と港に発砲を開始しました。 午後には、市のすべてのゲートウェイが確保されました。ベトナム共和国第1戦略部隊の最高司令官ゴクアンチュオン将軍は大混乱に陥った市を後に、第7艦隊の船に乗って撤退しました。

*1975年3月29日

午前11時、ベトナム人民軍はダナン空港を完全に掌握しました。

午後2時、革命旗が市役所と傀儡軍の第1軍団司令官の旗棒に翻りました。

午後3時、戦闘が終了し、ダナンが完全に開放されました。

*1976年2月

1975年12月20日、ベトナム共産党政治局の決議No 245-NQTWおよびNo 19 / NQに基づき、南ベトナムの暫定革命政府は、一帯を解散し、南部諸省を統一する制令を発布しました。再編成により、クアンナム-ダナン省はクアンナムとクアンダの2つの旧省で構成され、南ベトナムの21の省のひとつとして中央統治都市の1つになりました。

*1977年8月30日

クアンナム-ダナン省の第1,2,3地区は、政府評議会の法令第228-CPに基づき、クアンナム-ダナン省下のダナン市に合併されました。

*1982年12月9日

クアンナム-ダナン省下のホアンサ島区は、クアンアム-ダナン省のホアヴァン区の西沙諸島全域から形成されています。

*1996 年11月6日

ベトナム社会主義共和国第9回国会第10回会儀で、クアンナム-ダナン省をクアンナム省と直接責任を負うダナン市に分割することが承認されました。

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